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「あった」「なかった」論争

「村野瀬玲奈の秘書課広報室」さん 歴史修正主義という「レッテル」にまさにふさわしい言動でしょう、これって。

まずは、「一知半解男」と称する人の意見↓です。

>あったことが否定し得ない出来事を「なかった」と言い立てる人々が現れ、「記憶の共有」が阻害されたから、いつまでたってもそこに進めない、とも言えます。

実際、「あったことが否定し得ない出来事」だったか”疑問の余地”が残っている限り、今後もこうした人々が現れることは覚悟せねばなりません。

そうした人々を説得したいなら、「あったこと」を確実に証明すれば済むはずです。もし、説得できなければ、果たして本当に「あったこと」なのか再考し直してみる態度を左翼の方々は持つべきでしょう。

そうした態度を取らずに、疑問を抱く者を、歴史修正主義者だのゼノフォビアだのレッテルを貼る方も実際多く見受けられます。そうした対応を取られると、果たして本当に「あったのか」ますます疑いを抱かざるを得ません。


「あった」「なかった」論争のようですね。

「あった」派は、たとえば、「○○研究の第一人者の△△さんの著書「○○の真実」の□□ページに▲▲という記述があり、これが定説となっています。」というような主張をします。

でも人は嘘を吐くし、記憶の内容が間違っていることもあり得ます。

本に書いてあることも、目撃者の証言も百%鵜呑みにすることは出来ません。

私はそう考えるので、「一知半解男」さんの発言に同感です。

ところが、これに対する「村野瀬玲奈」さんの反論はこうです。↓

自分が理解できないことは偽りであると言うことができるのなら、ピタゴラスの定理の証明を理解できない人が大勢いたらピタゴラスの定理は偽りであるということになるのでしょうか。一知半解男さんは、この世は広く直角三角形は無限にあるのだからピタゴラスの定理が当てはまらない直角三角形の例が一つくらいはあるはずだ、と主張し続けているように私には見えます。


どこまでも主観・価値観の入り込む「歴史認識」についての論争に、「数学という万人に共通の物差し」を持ち込んで反論するのはどう見ても詭弁です。

「歴史」と「数学」という全く性質の異なるものをごっちゃにして論じるのは無理です。

ピタゴラスの定理の証明を理解できない人が大勢いたらピタゴラスの定理は偽りであるということになるのでしょうか。


↑これはギャグで言ってるんですか?


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