スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

企業の「経済的不道徳性」

「日暮れて途遠し」さんが、ディーセント・ワーク(尊厳ある労働)で、朝日新聞2月7日紙面に掲載された内橋克人氏の記事を紹介されていましたので、孫引きさせてもらいます。

●マック店長訴訟「不道徳」突かれた企業社会
内橋克人 経済評論家
2008.2.7朝日新聞 オピニオン

所定の労働時間内では処理しきれない作業を命じられた被雇用者にとって、道は二つしかない。作業の進み具合にはおかまいなく、定時がくればさっと仕事を打ち切って退社するか、さもなくば仕事の完成を優先し(自分の時間を犠牲にして)労働時間を延長するか、いずれかである。


今回、日本マクドナルドが店長を「管理職」とみなして残業代を支払わないのは違法だとして、同社に対し、原告である店長に未払い残業代などの支払いを命じた一審判決が暴いたものは、労働時間を延長せざるを得ない立場に勤労者を置きながら、支払うべき労働の「対価」を支払わずに済ませる、知的練磨にたけた「姑息術」の蔓延ぶりであった。同社に限ったことではない。
原告が従わざるを得なかった超・過密勤務を「無償労働化」するため、企業が駆使したテクニックの粋が「名ばかり管理職」というだまし絵であったことが、裁判の過程でさらけ出された。企業は管理職という名札を乱発するだけで、人員を増やす必要もなく、残業代を支払う必要もない。すべての対価は生命を削って働く生身の人間に押しつけられる。「偽装管理職」とはまさに究極の人間合理化策といえる。


「日本マクドナルドが店長を「管理職」とみなして残業代を支払わないのは違法だとして、同社に対し、原告である店長に未払い残業代などの支払いを命じた一審判決」に関して、経済評論家の内橋克人氏は、「管理職という名札を乱発するだけで、人員を増やす必要もなく、残業代を支払う必要もない。「偽装管理職」だと言っています。まさに、その通りです。

いま、「偽装管理職」を追認するような幾多の法改正が、経済界の渇望のもと、待機中だ(その一つが、一定の条件を満たす従業員を労働時間の規制から外す「ホワイトカラー・エグゼンプション」の異形である)。


続いて、彼は、「ホワイトカラー・エグゼンプション」等に言及して、企業社会の「経済的不道徳性」を断罪しています。

「ホワイトカラー・エグゼンプション」こそは、「偽装管理職」という手を使うまでもなく、多くの平社員の残業代の支払い義務を不要にする究極の悪法であり、企業の「経済的不道徳性」を正当化するものなのです。

私たちは企業社会の「経済的不道徳性」を突く鋭さを磨くほかにない。
第一に、マスコミに氾濫する「働き方の多様化」なる言葉の虚妄を見抜くことだ。進んでいるのは「働かせ方の多様化」であって「働き方の多様化」ではない。残業代ゼロを正当化するのに「エジソンは時計を見るなといった」といい、NHK「プロジェクトX」の登場人物を見習えと書いた学究者らが、「多様」「多様]とはやしている。
第二に、「正規雇用は権利。その他の働き方は個人の選択旨」。
この原則が貫かれてこそ「働き方の多様化」と呼ぶにふさわしい社会が到来する。
最後に、「昔の日本的経営はよかった」式の懐古言説に惑わされてはならない。サービス残業、献身、働き過ぎ、会社一元支配社会こそは企業社会に常のものであった。冒頭に述べたような定時の退社すら至難であった。ゆがみを超克できぬまま、私たちは「市場競争至上」の海に投げ入れられた。普通に生き、働き、暮らす者は「加重された苦境」に撃たれている。
マック訴訟の原告・高野広志さんの勇気が「ディーセント・ワーク(尊厳ある労働)」への道を拓く。私たちに与えられた意味と期待はあまりに大きい。


「「昔の日本的経営はよかった」式の懐古言説に惑わされてはならない。」

・・・その通りです。

「サービス残業、献身、働き過ぎ、会社一元支配社会こそは企業社会に常のものであった。」

・・・こういう徒弟制度を思わせる前近代的な未熟な労使関係から脱することが出来ないまま、日本の労働者は「ネオリベ的市場競争至上主義」の荒波に投げ込まれました。

日本の場合は、もともと、労使関係というものが、契約関係でドライに割り切ることの出来た社会よりも、より一層労働者の苦痛が大きいのです。


スポンサーサイト

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。