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「観念の罠」

【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁 「観念の罠」からの脱却を
2008.4.2 03:06


 一方、閉塞(へいそく)感ただよう日本はどうだろうか。政治家や経済評論家から聞こえてくるのは、「小さな政府」「労働生産性向上」「官から民へ」といった、相も変わらぬ「構造改革」の蒸し返しだけだ。しかし、先進国中、公務員の数が対人口比率で群を抜いた少なさ、一般政府支出の対GDP(国内総生産)比率も米国より低い日本が、どうしてこれ以上「小さな政府」を目指さねばならないのだろうか。官僚機構や公務員に問題がないなどとはいわないが、問題は人員数や支出の大きさではありえない。

 また、大田弘子経済財政担当相は、日本の労働生産性は低く「もはや経済で一流とはいえない」と国会で堂々と述べたが、小泉改革が労働生産性向上を目指した構造改革であったことを思えば、7年間の小泉路線は大失敗だったと宣言したに等しい。経済財政担当相は一貫して小泉改革の支持者であったのだから、これは「自殺点」といえるのではないだろうか。


 こうした混乱の根底には、小泉政権が推進した構造改革が景気回復をもたらしたとの思い込みがある。だから、今の景気後退は構造改革の停滞が原因ということになるのだ。しかし、日本が一時的にせよ景気回復できたのは、米国と中国への輸出が伸びたからだった。米国経済が危機を迎え、中国の対米輸出が低下すれば、両国への輸出国である日本の低迷は避けられない。にもかかわらず、政府と経済評論家は今も構造改革を金科玉条のごとくあがめている。

 特定の改革思想に凝り固まって、有効な経済政策を打ち出せない状態を、経済学では「観念の罠(わな)(アイデア・トラップ)」と呼ぶことがある。過去の経済政策とその成果について、正確な因果関係を把握できないために、過去の観念の虜(とりこ)になってしまうのだ。まさに日本は「構造改革」という観念の罠にはまってしまった。今の閉塞感は、この罠が生み出しているといってよい。日本は大きな政府などではない。労働生産性だけで経済を評価するのはばかげている。国家ファンドに相当するものは米国にすら存在する。

 米国の経済危機が本格的に日本に波及するまで、時間的余裕はあまりない。喫緊の課題は、構造改革とは何だったのか、真剣に再検討し、この「観念の罠」から脱却することなのである。


 小泉カイカクは、一時的には成功を収めたように「御用学者」を中心に論じられてきました。しかしその内容はというと、好調な米国経済や中国経済に影響された輸出の伸びによるものであり、いわば「小泉カイカクというものの影響の外にある」外生変数に過ぎないものであったわけです。一方、カイカクの影響を受けた国内においては、内需は、一向に拡大してはいません。

 私は、「労働生産性向上が景気拡大をもたらす」というような説は取ってはいませんが、「小泉カイカクが労働生産性向上を目指した構造改革であった」にもかかわらず、「(日本の労働生産性は低く)もはや経済で一流とはいえない」と大田経済財政担当相が語ったということは、7年間の小泉路線は大失敗だったと宣言したに等しいのです。

 特定の改革思想に凝り固まって、有効な経済政策を打ち出せない状態を、経済学では「観念の罠(わな)(アイデア・トラップ)」と呼ぶことがある。過去の経済政策とその成果について、正確な因果関係を把握できないために、過去の観念の虜(とりこ)になってしまうのだ。まさに日本は「構造改革」という観念の罠にはまってしまった。今の閉塞感は、この罠が生み出しているといってよい。

 東谷暁氏は、「構造改革が景気回復をもたらしたという思い込み」を「観念の罠(わな)」だとしていますが同感です。

 「構造改革なくして、経済成長なし」と誰かが絶叫していましたがそうではなく、「(小泉流の)構造改革粉砕無くして、経済成長なし」なのです。

 (最後に、東谷氏は、「国家ファンド」を評価していますが、私はそれには異論があります。外資族が熱心に提唱することは、所詮は「外資の利益になること」であり、「日本の利益になること」ではありませんから。)



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