スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日朝会談は出来レースだったのでは・・・

掲示板 声よ届け!波濤の彼方へでも取り上げられていた記事↓。

日朝交渉記録欠落 不透明さ増す秘密外交 「都合が悪かったのでは」
 小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問は、拉致被害者5人とその家族の帰国をもたらすとともに、北朝鮮という異様な国家の実像を白日の下にさらし、大きな成果をあげた。だが、首相訪朝に至るまでの日朝交渉は水面下で行われ、徹底的に秘匿された。このため、交渉過程で北朝鮮との「密約」が存在するという噂(うわさ)が半ば公然とささやかれた。今回発覚した訪朝直前の交渉記録文書の欠落で、この“秘密外交”の不透明さがより増したといえる。

 日朝間の極秘交渉は当時、首相官邸でも小泉首相と福田康夫官房長官(現首相)、古川貞二郎官房副長官ら数人が知るのみ。安倍晋三官房副長官(前首相)ですら、平成14年8月30日に首相訪朝が記者発表される前夜まで知らされなかった。

 外務省内でも、交渉当事者の田中均アジア大洋州局長は秘密主義を貫いた。同月22日の幹部会議まで、本来は日朝平壌宣言作成に関与すべき立場の条約局(現国際法局)長や総合外交政策局長らも、全く蚊帳の外に置かれた。

 この水面下の交渉では、拉致問題の解決よりも国交正常化実現に重点が置かれていた。その姿勢は、「拉致問題で何人が帰ってくる、こないということではない。それよりまず国交正常化に対する扉を開くことに大きな意義がある」(9月12日の古川氏の記者会見)といった言葉にも表れている。

 しかし、金正日総書記が拉致を認めたことで世論は沸騰し、小泉首相もこれを無視して国交正常化を急ぐことはできなくなった。拉致問題に詳しく被害者家族の信頼も厚い安倍氏をラインから外すなど、衆知を集めてことに対処しようとしなかったツケだった。

 田中氏は9月17日の日朝首脳会談時に、北朝鮮側が伝えてきた不自然な点の多い拉致被害者8人の死亡年月日情報について、マスコミが報じるまで被害者家族に伝えなかった。また、同日午前中に情報を得ていたのに、小泉首相にも平壌宣言署名式直前の午後5時ごろまで報告しなかった。こうした手法も、疑念を招いた一つの理由だろう。

 政府高官は日朝交渉の記録文書の欠落について、「『8人死亡』などの拉致被害者の生存情報について、ある程度事前に話があったのではないか。そういう話もせずに、首相に北朝鮮を訪問させることなどありえない。記録を残すとだれかにとって都合が悪かったということではないか」と指摘する。

 北朝鮮との間に最終段階でどのような協議が行われたかは、外務省幹部も「田中氏と通訳しか本当のところは分からない」と話している。

(阿比留瑠比)


 自己保身にたけた外務官僚(=田中均)が、拉致被害者8人の死亡年月日情報について、午前中に情報を得ていたのに、小泉首相にも平壌宣言署名式直前の午後5時ごろまで報告しなかったなどということは、普通に考えて有り得無いことだと思います。

 そんなことをしたら、首相の逆鱗に触れて帰国後、直ちに更迭されていたことでしょう。

 「全ての情報は訪朝前に、北朝鮮から田中均に伝えられていた。そして、その情報を元に、小泉首相と田中均が如何に国民に効果的にアピールさせるかというシナリオ作りのために、官邸で何度も打合せしていた。もちろん、金正日とも頻繁に連絡を取り合っていた」と、私は想像します。

 でたとこ勝負の会談という、お互いに余りにも危険なやり方を、金正日も小泉純一郎も取りはしなかったでしょう。事前に細かい打ち合わせを行って、本番は単なるセレモニーにしか過ぎなかったのだろうと思います。

 「八人死亡」というのも、最初から「これでいくよ」「それでいいよ」という北朝鮮・日本間の了解事項だったと私は見ています。

 ただ、事前に知っていたとなると、「なぜ、八人も殺されているのが分かっていたのに、会談をしたのだ、平壌宣言に署名までしたのだ」と突っ込まれるから、「平壌宣言署名式直前まで、知らなかった」ことにして、田中均を矢面に立たせたのでしょう。

 結果的には、それでもなお、小泉純一郎は厳しい逆風にさらされることになりましたが・・・。


スポンサーサイト

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。